「とんぼ玉って何? 知らない」という人、もちろん知っていても損はないです。見てくださいね!(^-^)
なお、このページに掲載されているアンティークのとんぼ玉や現代のとんぼ玉はみんな、わたしが苦労してコレクションし、所持しているものです。(*^^)v
「とんぼ玉」とは、2色以上の色ガラスで色々な文様を施した、穴の開いたガラス玉(必ずガラス製)のことです。 現代では文様に関係なく、ガラス玉全てがとんぼ玉と呼ばれています。 メソポタミアやエジプトで、今からなんと3500年も昔から創られていました。(@_@;) ビックリ!(紀元前からです) ガラスが世の中に出現したと同時に、とんぼ玉が創られていたそうです。 これはガラス技法では有名な吹きガラスよりも、とんぼ玉の方が、はるかに歴史が古いのです。 ※ちなみに吹きガラスは紀元前1世紀ごろ、シリア・パレスチナ地方の出現と言われます。(約2100年前) フェニキアでは、精巧で細かい人面の玉や、人の頭の形をした「人頭玉」なども創られました。 一番多いのは「目玉文様」で、イスラムなどの文化では、どちらかと言えば宗教色が濃く、世の中の悪を睨み付け、逆に持ち主を優しく見守る意味があるそうです。 このとんぼ玉を盗んだ人間が、後に悲惨な目に遭った伝説もあるとのこと。 とんぼ玉って生きているんですね。 きっと当時はアクセサリーだけではなく、おまじないや、お守りにしていたのでしょうね。(^-^)
とんぼ玉やガラス工芸の素晴らしい技法で有名なのは、何と言ってもイタリアのベネチアです。 16〜19世紀ごろ、ガラスで創る金太郎飴のような、どこを切っても同じ柄の出る「ミルフィオリ(イタリア語で千の花)」の技法を駆使したベネチアンビーズ創りが、盛んに行われました。 ベネチアンビーズの特徴は、中に金箔や銀箔、最近では銀特有の酸化を防ぐため、プラチナ箔までもを練りこんだ、豪華なものでした。 また、とんぼ玉の技術や、ガラスの食器の技術では有名な、白い不透明のガラスで表現された「レース文様」も、もともとはこの一帯が、レース装飾で有名だったから出現したそうです。 この素晴らしいベネチアンガラスの技法が流出しないよう、ベネチア政府はとんでもない法律を作りました。 当時はベネチアのムラノ島に、ガラス職人やその家族などを強制移住させ、島から脱走すれば重罪で死刑になったほどです。 何もそこまでしなくても。(@_@;) しかしその反面、新しい優れたガラスの技術を開発した職人は、貴族にしたりしました。(^^ゞ
そんな法律まで作ったのですが、やがてベネチアンビーズ・ガラスの高い技術は、ベネチア政府の努力の甲斐なく、いつの間にやらヨーロッパ諸国、やがては世界中に広まりました。(^^ゞ そうして、ベネチアではたくさんのビーズを創り、主にアフリカに貨幣代わりに輸出、資源や金品・なんと奴隷までもを交換したといいます。 その際のとんぼ玉は、細長い管状の玉で、それを千歳飴のように切って、非常に高い技術を凝らしたのです。 その、とんぼ玉と引換に、奴隷の対象になったアフリカなどでは「再生玉」という、ガラスくずや上記の貨幣代わりの交易玉のくずなどを再度熔かして、再びとんぼ玉を創ったりもしたそうで、それらの玉は非常に暗い色でした。 これは、奴隷の犠牲になったアフリカ人たちが、家族や恋人や友人と引き離され、家畜同然に扱われた怒りや悲しみをこめて、そういう色調になったとも言われます。(T_T) それほどまでに、ビーズは脅威というか、大切なものだったのです。 今も、ムラノ島には、ガラス工房がたくさんあるようです。
シェブロン玉は、ベネチアのムラーノ島のマリア・バロヴィエールさんという女性が創ったとされる玉で、6〜7層もガラスを重ね、しかもぎざぎざにしてから引き伸ばし、その後カットした後、なんと両端を研磨してやっと出来上がるという、非常に工程の多いとんぼ玉です。 しかもこの玉もアフリカで使われ、種族の権力を表すため、鶏の卵大という大きな玉もあります。 東南アジアや中国でも、とんぼ玉が創られていました。 とても大きい玉の多い、おもしろい波文様の「ジャワ玉」や、台湾の先住民族(パイワン族)のとんぼ玉、韓国のとんぼ玉、中国で発掘された、主に春秋時代・戦国時代の「戦国玉」と言われる「七星文様のとんぼ玉」など、ほぼ世界中で創られていました。 人間のいるところには、ほぼとんぼ玉があると言っても過言ではありません。 日本では、大和時代から古墳などから勾玉や法隆寺玉、正倉院玉というとんぼ玉が出土していますが、主には江戸時代中期から中国などより伝わり、特に大坂(現在の大阪)では盛んに創られるようになりました。 文様がとんぼの複眼に似ているからという理由で名づけられたらしい「とんぼ玉」というおもしろい名前も、このころから使われていた名称で、かんざしや根付、帯留めなどに使われていました。 これらのとんぼ玉や、とんぼ玉が付いたかんざしや根付などは、江戸幕府ではぜいたく品とみなされ、処罰の対象になりました。 何人ものとんぼ玉職人たちが捕えられたり、命を助けられても生涯とんぼ玉を創ってはいけないと、誓約書まで書かされたり、最悪処刑されたケースもあるようです。(>_<) そこで江戸の人たちは、かんざしの先に耳かきを付け「これは耳かきです」とごまかし、幕府の目を逃れたそうです。 現在でも、かんざしに耳かきが付いていることが多いのは、その名残なのです。 お上に度々厳しく禁止されても、江戸の人たちは工夫していました。(*^_^*) また「アイヌ玉」も、とんぼ玉です。 「とんぼ玉」と呼ぶのは日本だけで、アメリカなどの欧米諸国では「Glass Beads(グラスビーズ)」「Eye Beads(アイビーズ)」また、中国では「玻璃珠(Bo li zhu)」と呼びます。 両者共に、直訳すると「ガラス玉」です。 「Dragonfly beads(ドラゴンフライビーズ)」とか「蜻蛉玉」とは、言わないのですね。(^^ゞ また、とんぼ玉のガラスの質は、一概には言えませんが、ベネチアンビーズなどのヨーロッパ系のとんぼ玉では、主にソーダガラス、中国の戦国玉や日本のとんぼ玉などのアジア諸国では、鉛ガラス(クリスタルガラス)である傾向があります。 詳しくは、ソーダガラスにも「ソーダ石灰ガラス」「カリガラス」などがあって、鉛ガラスにも「鉛バリウム」「高鉛」「低鉛」などがあり、科学的にも奥深いです。(^0_0^)
現代では、プロの作家さんの方や、他にもたくさんの方が様々な技法で思い思いにとんぼ玉を創っています。 わたしがとんぼ玉創りを始めたころよりも、とんぼ玉を創る人は確実に増えています。 昔よりガラスも質がはるかに向上し、わたしがとんぼ玉創りを始めた頃よりも、更に色数・種類共に豊富になったため、また、創り手それぞれの個性があるため、とんぼ玉の技法は現代では千差万別です。 皆さま、本当に素晴らしいとんぼ玉を創ってらっしゃいます。 とんぼ玉は、他のガラス工芸の様に、大掛かりな装置など必要なく、バーナー・ガラス棒などのその他もろもろだけで出来ます。 自宅でも手軽に創れるのがいいんです。(^-^)
とんぼ玉工房「MASUMI」も、そんな熱心? な、とんぼ玉作家の一人です。 一人でも多くの方にとんぼ玉の魅力を知って頂きたいという願いをこめ、このサイトを誕生させました。 |
※参考資料……世界のとんぼ玉(由水常雄著・里文出版)、トンボ玉(由水常雄著・里文出版)他多数
一口に「とんぼ玉」と言っても、これだけいろいろな種類があります。(☆≧∇゚)ノ
皆さまは、どのとんぼ玉が好きですか?(^▽^*) わたしは、とんぼ玉なら全部好きです♪
とんぼ玉って、世界中にいろんな種類があるんですよね。(^-^)
みんな、何千年も何百年も昔の人が創っていたんですね。
この先、自分の創ったビーズが何千年も生き続けるかも……って考えただけでも、すごいなあって思います。
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